\ えぬすぴブログ

2016年12月 一覧

 #1800  [性別関連

「魂の形」は変わらない

最近、よく考えていること。

性別適合手術(SRS)を受けなくても、性別の変えられる国(地域)が多くなってきていることをニュースで知ることもある。

「体はそのままで性別だけ変更できる」ということについて賛成か反対かと聞かれたら、わたしはかなり困る……。 「生殖能力を故意に失った人」という条件があれば……とも思うのだけれど。 そうでないと平等な感じがしないと思うので……。

ちなみに、わたしは女性ホルモン剤(個人輸入)を14年以上続けているので、もう生殖能力は残っていないし回復もしないはず。 お医者さんには行っていないけれど、ほとんど確実に感じている。

わたしはどうしたいか、と聞かれたら……。 改名や戸籍などはずっとこのまま……何も進展しなくても良いとも思う。 実際に経済的にとても難しいから。

ただ、女性ホルモン剤だけは続けさせて欲しいと思う。 自前の身体では作れないものなので。

もちろん、もっとお金があったら、SRSもしたい。 何があっても「自己責任」という契約書が必要ならいくらでも書くから。

世の中の流れとは逆方向みたいな願いで申し訳ないけれど、改名とか戸籍とかよりも自分の身体の不快感を減らす方を優先したい気持ちが強い。

もちろん、制度が変わることでたくさんの人の生活や「生命」も救うことにつながるので関心はあるし、色々なことが実現して欲しいと思っている。

わたしにとって、魂の「形」は社会制度という「形」には左右されないものだと思う. それでこんなことを考えることが多いので。

「車輪の国」の「義務」みたいに、一日24時間ずっとバッジを付けててもいい。 自分がMtFであるという「素性」を公開してまわりの人に知らせなければならないとか、事情を聞かれたら答えなければならないとか……そういう「義務」が課せられても全然かまわないから。

と言うか、現在の状況も似たようなもの。

初対面ではまず「容姿」に目が行くのも知っている。 テレパシーでもない限り「心の中」までは見えないから。

わたしは「バッジ」は付けていないけれど、「一目一声」で素性はわかる(バレる)。 また、話しかけられたり聞かれたりしたら、初対面の人にもけっこうたくさん話したくなる。 今も自主的に「義務」を実行しているようなものなのかも。

好意的でない人の様々な「反応」にも平気になってきてしまった。 見かけた途端に逃げ出すとか、すれ違う時にわざわざ大回りして避けるとか、聞こえるように悪口を言うとか……そうされた経験もあるので、もうたいていのことならだいじょうぶなはず。 まだ経験がないのは、心理的ではなく「物理的」にケガをさせられるようなことくらいかな。

ただ、夢まではコントロールできないので、ひどい夢を見てしまうこともある……。 内容は、髪を切られるのが一番多くて、たまに暴言とか暴力とかもあるという感じ。 「トラウマなんて存在しない!」と思いたいけれど、精神的ダメージを回避するのがなかなか難しいことも……。

「知られてもかまわない」というのは、あくまでもわたしの個人的な考え方。 それを望まない人がいたら、まわりの人に知られることなく暮らせるようにもなっていって欲しいとも思っている。

それから、たくさんの好意的な人もわたしのまわりにもいる。 そういう人が一人でもいれば百人力に感じられるので、わたしの状況が「マイナス」になることはまずない。 そう思えることも、心の大きな支えになっている。

 #1799  [

「みんなちがって、みんな特別」という言葉

「みんなちがって、みんないい」というのは、金子みすゞさんの「わたしと小鳥と鈴と」という詩に出てくる言葉。

みんなそれぞれの良さがあるというのが伝わってくる。 テレビなどでは「マイノリティー」に対して使われることもある。

金子みすゞさんの作品は「青空文庫」にも公開されていない。 “作者の死後、関係者の努力によって発掘された経緯を踏まえ、取り組むか否か検討中。現時点では、入力を控えている。”――ということなのだそうだ。

 → 作家別作品リスト:金子 みすゞ

なので、一応ここでも詩の引用はしないでおくことにする。

「みんなちがって、みんないい」という言葉に対して、わたしはつい余計なことまで考えてしまう。 「良さ」だけなのか?……とか

みんなと言うと「仲間」のイメージにもなるけれど、そうとは限らない。 「好ましくない」と思ったり思われたりしている人も含まれる「みんな」だったら?

好きではない人に対しても、ちゃんと「いい」と思えるかどうか。

あと、他にも。

「完全」なものが一つだけだとすると、みんな「違う」ということは、みんな「不完全」だということにもなってくる。 正解が何通りかあれば別だけど。

不完全なものに対しても、ちゃんと「いい」と思えるかどうか。

と言うか、「人間」にできることなのかどうか……。

そんなこともあって、わたしは「みんな違って みんな'特別'」という風に思うようにしている。

自分が「不完全」ということを知れば、相手が「不完全」であっても寛容な気持ちに近づけそうだから。

もちろん、わたしも「人間」なので誰に対しても……という訳にはいかないけれど。 「みんな特別」と思えれば、少しはできるかも……:と思えるから。

前にも似たようなことを書いていたけれど、改めて肝に銘じるためにまた書いてみた。  → 「みんな」という言葉|えぬすぴブログ #1691

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