\ えぬすぴブログ

 #418  <<音楽>>

「友達の詩」を聴いて考えたこと 〈◎〉

去年の大晦日、紅白歌合戦を見た。 歌にもあまり興味はないから長い間見なかったんだけど、母と一緒にという感じで。 最初から最後まで大体見ていたのはどれくらい久しぶりになるのか…もしかしたら初めてかも知れないくらい。

あと、中村中さんが出場するというのもあったので。

中村中さんについてボクが関心を持たないはずがない。 けっこう前に知っていたけど、いつものように嫉妬のような感情で心が乱されて仕方がなくなりそうなので、あまり詳しくは知ろうとしてこなかった。

けっこう後の方になって中村中さんの順番になって、「友達の詩」を聴いた。 ちゃんと詩を確かめたのも初めてだった。 “手を繋ぐくらいでいい”“並んで歩くくらいでいい”というところが、とても印象に残った。

ボクの理想的な「好き」という形に近いことだったから。

(ここから先はボク自身が勝手に感じたことなので、歌詞の本来の意味からは外れてきます)

歌詞を検索できるサイト(うたまっぷ歌ネットなど)で探して、もう一度じっくり読んでみた。

ほかの詩の歌詞も見てみたけど、どれもまっすぐで、激しくて、特に「リンゴ売り」や「汚れた下着」が印象に残った。

「友達の詩」で歌われている気持ちと、ボクが思ってきた気持ちとは、やっぱり違っていそう。

「叶わない恋」じゃなくて、「叶わないで欲しい恋」でもあるから

今までにしたことがないけど、そういう「恋」をしたら、きっと心が押し潰されて…。 だから、ずっと前に気づいたときから、ほとんど無意識に「ならないように」と願ってきたから。

ボクがここまで来られたのも、そういうことに「鈍感」だったからじゃないかとも思う。 今までにもないままで、これからも自分のこととしては万一にも考えられないけど。

自分がイヤだと思っている体で、イヤだと思っていることをするのは、イヤに決まってる。 だから、もしも相手が好きな人だったら、なおさらイヤだと思うのが当たり前で。

そういう風に好きになることがあったら、どういうことになるか、簡単に想像できる。 今までとは比べものにならないほど、自分の体への不快感がとてつもなく大きくなるはずで、とても“危うい”。

だから、手を繋いだり、並んで歩いたりするのがちょうど良い。

“くらいいい”じゃなくて、“くらいいい”。

たった一文字なのに、大きく違う。

“大切な人が見えていれば上出来”なので、そこまでが理想。 見えなくなったら、悲しい…。

とても好きな人とそういうことができたら、とてもうれしくなれる。 そして、それ以上のことはしたくない。

ふれあう恋愛は、しなくていい(この体では…)

そうであって欲しい…。

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コメント

おりりん♪ : 大切な人
先日、幼馴染と喧嘩してしまいました。
て、ゆっても私が一方的に悪いわけで.....
その時、相手の一言に傷付いて何だか気まずいけど
メールも電話も返信しないまま2日経ってしまいました。
私の恋愛感はないかもしれないしユイちゃと同じように
『が』合う方だと思います。

今、大切な人が見えなくなってなんだかなぁって感じです。
私の大切な人はやっぱりお友達で.....
哀しいかな、恋愛の好きな人はいないままですw
ユイ : >おりりん
言葉そのものよりも、幼なじみの人がどんな気持ちでその言葉を言ったのか…おりちゃんを本当に傷つけようとして言ったのかどうかが、とても大切なことのように思えます。何度も繰り返して言ったというのならともかく、一度だけだったら、もしかして…ということもあると思います。
そのためにも、時間はかかってもいいと思うので、連絡して気持ちを確かめてみるのが大切だと思います。
ボクの考えなのですが…。

お友だちでも“恋愛の好きな人”でも関係なく、大切な人が見えているのが良いことのように思えます。(*--)゜゜゜ 

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